あみの中東縦断一人旅。

旅日記17 イスラエル編後半「聖地で迎える誕生日と、夜の旧市街を歩く」

エルサレム後編。嘆きの壁とキリストの教会を見た、その後。
エルサレム旧市街東側のヤッフォ門近くにそびえる砦の塔、ダビデ棟。
歩いてダビデの棟まで戻って、街が見渡せるみたいだから入ってみる。
入場料は20NIS。1NIS=30円で考えることにした、多分そんなもん。
中は博物館を兼ねており、お金を掛けたようなつくりになっていて、
最新の日本の博物館みたいな感じ。小奇麗で、新しい空気。
歴史に関する展示、資料、ジオラマなんかがすごく充実してる。
部屋も展示室も多くて、じっくり見たら時間が足りないくらい。
こういう場所をのんびりと見て、隅々まで見るのが好きなタイプ。
でも、なんでかな、その時はほとんど興味を感じられなかった。
整然とした展示に場違いな違和感を感じたからか、
体調不良がさっきからどんどん酷くなってるからか。
展示はそんなに見ずに、屋上からエルサレム市街を眺めてた。
高い建物がないからか、旧市街だけでなく街全体が見渡せた。
屋上は城壁に沿って建物の周りを一周できるようになっている。
結構広くて、一周が1時間くらいかかる場所を、のんびり歩く。

映画「シンドラーのリスト」のオスカー・シンドラーのお墓があると聞いて、
ガイドブックも何も持たないまま、人に聞きながら探して歩き回る。
ナチスから迫害を受けていたユダヤ人を救った姿を描いた「シンドラーのリスト」
たまたま数年前に映画を見ていたので、せっかくなので行ってみたいと思った。
お墓があるって聞いて、まず感じたのはあれは「現実」だったという、実感。
フィクションがノンフィクションになるというか、旅をしてていつも思うこと。
今まで遠くの出来事だと思っていたことが、自分の身近なことに変わる瞬間。
歴史も、ニュースも、遠くの事じゃなくなって、見方が変わる。
歩けど歩けど、見つからない。なぜか桜の花が咲いてるのを見つけ、
旧市街から外に出てしまい、民家の畑に出てしまい、不審な目で見られ、
覚えたてのヘブライ語とジェスチャーで「シンドラーのお墓を探してる」
と伝えたのだが、通じたのか通じてないのか。放牧の馬の傍を恐々と通り、
民家の子供とおじさんが指で指し示す方向に向かって歩いてみる。
畑から民家の庭を通り(明らかに道じゃない)、お礼を言って坂道を登る。
明らかに地元民が通るような場所を抜け、やっと辿り着いた!!!
と思ったら、安息日のためか門が閉まってて入れなかった。
何時間も探し回って歩いたのに、まあ仕方ない、旅ではよくあること。
しかもこの場所が、朝来たお城の傍で、何回も通った場所の裏だった。
あんだけ遠回りしておきながら、すぐ傍だった。なんか脱力感。

体調の悪い体を無理して引き摺って、途中立ち止まりながら歩く。
歩き回ってると喉がカラカラになってきて、5NISで缶ジュースを買う。
日本円だと150円くらい。やっぱり日本の物価に似てる。非常に高い。
商店はどこも珍しいものや宗教的なお土産品を売ってて、面白い。
いろんな面白いものがあって、見てるだけですごく楽しい。
でも物価の高さに辟易して、この日はほとんど買い物もしてない。
この位で物価が高いなんて言ってたら、普通の先進国なんて旅できないのにね。
野菜やら布やら、地元の人たちで賑わう商店で人並みに押されて。
カタコトのヘブライ語で近くにいた人に話しかけてみたり。そんな午後。
「ちょっとtourist informationの地図見てくる」、と宿を出たのに
宿に戻ったのは夕方の5時過ぎ。もうダメだ、とベッドに倒れこむ。
ベッドとは名ばかりの、今にも壊れそうな小さな棒と板と布の組み合わせ。
いろんな安宿に泊まったけど、こんなに質素なベッドも随分久しぶり。
珍しくジャンケンに買ってドミトリー二段ベッドの下をgetしてた。
安宿は場所節約のためか二段ベッドが多い。今までの経験上、下が好きかな。
いちいち上に登らなくていいし、床(隣)にバックパックが置けるし、座れる。
まあ、そんな話は置いといて、ともかく私はベッドに倒れこんだまま、眠った。

あまりに体調が悪くて、起きているのが辛くなって、横になっていたら
そのまま眠りについてしまったようだ。ふと目を覚ますと、もう夜だった。
時計を見ると7時。寝てたのは2時間くらいか、とほっとする。
ロビーに戻ると、各自がそれぞれ夕食をとっていた。
ご飯は無料で食べれるけど、キッチンで各自がセルフサービスで準備する。
そして食後の皿洗いや片付けも自分達でする。それがここの決まりだった。
メニューは韓国人のお父さんが作ったと思われる、薄味のキムチ風スープ。
シンプルで具もあまりないそれを、ご飯の上にかけてねこまんまで食べる。
種類の違うコップやお皿で、簡単な準備をして、私たちは晩ご飯を食べた。
物価の高さ、というか、今までの国からの物価の差に慣れていない私たちは
外食する人なんていなかった。レストランのメニューに書かれたその値段は、
私たちを驚かせるのには十分で、GHに泊まるような人達には手が出なかったのだ。

ここのGHは無料でネットができるし、コーヒーも無料。
もちろん自分でコーヒーを入れて、コップを洗って、ってこと。
ロビーにはソファがあって、各自がのんびりと食後の一時を過ごしていた。
死海に一緒に行った韓国人兄妹も偶然同じ宿だったから、兄とまた話をした。
中国で覚えた簡単な韓国語会話よりも、変な韓国語のスラング/単語を言うと、
(それはCMやドラマの有名な台詞である)一気に韓国人と親しくなれる(笑)
考え方がしっかりした、知識の豊富なお兄ちゃんで、なかなか話が面白い。

さっきまで外を散歩してた旅人、通称フィリピン君が戻ってきた。
彼もまたヨルダンの安宿から一緒に(急に思い立って)来た人の一人だった。
夜のエルサレム旧市街が、なんとも素敵な雰囲気なんだって。
夜の一人歩きはしないけど、みんなで行くので安心して外に出る。
石畳、石壁がライトアップされてて、オレンジ色に染まってて、綺麗。
昼とは違って誰もいない。濡れた石畳が、街灯を反射して光る。
フィリピン君はそれを「erotic」と表現し、私は「mysterious」だと言った。
それは他の街の夜には無いくらいの、静けさ。誰ともすれ違わない。

ダマスカス門から真っ直ぐ進み、嘆きの壁までやってきた。
昼間はあんなに遠回りしたのに、真っ直ぐ行くととても近かったのに驚いた。
夜の嘆きの壁は、昼間以上の人だった。全てが真っ黒い服を着た、ユダヤ教徒。
観光客も誰もいなくて、ほとんどがユダヤ教徒の集まりだった。
彼らはまだ、そしてまた祈っていた。昼間の何倍も熱気があり、満ちていた。
夜の嘆きの壁は、時間があるなら行くべきだと思う。昼よりもなお。

  

宿に戻って、眠る。明け方にあまりの体調の悪さに目が覚める。
確か薬は昨日のうちに飲んだはず。旅に持ってきた厳選された薬、
「正露丸、風邪薬、オロナイン、痒み止め」の中から迷った挙句、一つ選んだはずだ。
この朝が一番辛かった。ドミトリーのベッドで苦しみながら、なんとか耐えてた。
辛いときは寝るに限ると、無理やり二度寝して、痛みが引くのを我慢して待ってた。
なんとか落ち着いたときには、もう日は結構登っており、皆出かけた後だった。
がらんとしたドミトリーで、早く行動しなきゃ、今日はどこに行こうと考える。
急いで身支度して、オーナーが作ってくれた昨日の残りらしき朝ご飯を食べ、
たまたま、まだ宿に残ってたフィリピン君と一緒に岩のドームを目指すことにした。
「I don't like UNESCO」の名言を持つ彼は、世界遺産があまり好きではないと言った。
観光地化された場所、観光地化された人々より、無名でも純粋な場所が好きだと。
世界遺産になることによって、観光客が増えて、変わってしまう人たちもいる。
それはすごく理解できる。私が無くしてしまったものを、彼はまだ持っていた。
死海で子供達が寄ってきたときも、私は「可愛い」と思うよりもまず
「怪しい」といぶかしんでしまった。旅で出会う優しい人懐疑的になることもある。
旅の経験値を積むと共に、だんだん悪い人に騙されなくなるし、強くなる。
その分、懐疑心が増えて純粋な心が減ったかもしれない。
どちらがいいかとかそういう事ではないけれど。興味深い視点だった。

何度か歩いているうちに旧市街の地図が足で分かってきた。
もちろん細かい道は迷路のようになっているけれど、大体の位置関係は分かる。
前よりも随分と短い時間で、岩のドームに辿り着く事が出来た。
一言目に思ったのは、まず、綺麗だということ。美しい。
街のいろんなところから見えた、岩のドーム。金色の屋根が太陽に煌めく。
模様を施した青色のタイル。タイルの青と、金色の屋根のコントラスト。

 

嘆きの壁がユダヤ教の聖地、聖墳墓教会がキリスト教の聖地だとしたら、
ここはイスラム教の聖地だといえる。どれもがほんのすぐ傍に並んでいる。
神殿の丘の上に建つ、イスラム教の開祖マホメット(ムハンマド)が昇天した場所で
ドーム内の岩にマホメットの足跡が残っている。この岩はアブラハムがその子
イサクを生贄に捧げようとした祭壇であるとユダヤ教徒が信じてきた聖岩でもある。
更に、以前はユダヤ教の神殿が建っており、全く同じこの場所をユダヤ教も
聖地として主張しているため、宗教問題の火種にもなっている。
(ローマ軍によって破壊されたこの神殿の壁が、丘の西側の嘆きの壁にあたる)
そう、エルサレムは三つの宗教が混在し、交錯している場所なのだ。
それぞれの宗教で聖地を主張する。だから、争いが絶えない。
パレスチナ暫定自治区の難民キャンプには行かなかった。

彼と別れて、閉まってて入れなかった一人シンドラーさんのお墓に行く。
今度は門が開いていた。中は思ってた以上に広く、見つけるのに一苦労。
誰もいないから、自分だけで探す。やっと見つけた。
石を置き、花を手向け、目を瞑る。

隣にあった「chamber of holocaust」に入ってみる。入場料5NIS(150円)
ここも昨日閉まってて入れなかったところだ。他に観光客も誰もいない。
目立たない場所にあるからか、内容からか、訪れる人はほとんどいないようだ。
ユダヤ人の虐殺についての展示が続く。それは目を背けたくなるほどのもの、
そして、一人きりで見るにはあまりにも恐ろしいものだった。
怖くて逃げ出したくなる気持ちを押さえつつ、一つ一つの展示を丁寧に見る。
残虐な写真、遺留品。そしてガス室を模した部屋の壁一面に並ぶ、衝撃の。
息が詰まりそうになる。すぐにでも出たい、でも、この目で見なければ。
展示をじっくりと見て、一人きりの小さな建物の中、凝縮した時間。
薄暗い部屋からやっと出ると太陽の明るさが眩しい。
犠牲者の名前が一面に並ぶ庭を抜け、やっと外の道路に戻ってきた。
ダビデの塔の展示と比べてしまう。入る価値があった。また一つ考えさせられた。

8NIS(240円)のアイスがぼったくられてるのかと思ったら正常価格で、
葉書と切手を買って手紙を書くも、郵便局がものすごく混んでいて待たされ、
もう少し葉書を買っていたら、土産物屋のお店のおじさんと仲良くなった。
チャイを頂いて、お店の椅子に座って、長い長い話をした。
お土産物屋は本当に魅力的なものばかり。物価が安かったら買ってそう。
実際は、少し買っただけ。お気に入りはエルサレムのキーホルダー5NIS(150円)
は良心的価格なのに、凝ってて。手の形をして、裏にヘブライ語が書いてある。

日は過ぎていき、あっという間にヨルダンに戻る日。
そうそう、この日は私の誕生日。エルサレムで迎える誕生日も、
普段と変わりない一日。でも、聖地で迎える誕生日も素敵だなって思った。
イエス・キリストの死と復活の場所。なんていうか、不思議。
たまたま同じ日にヨルダンまで戻る同じ宿の旅人が6人いたので、
一緒に乗り合いバスみたいなので、またイスラエルの国境を目指す。
ここで一緒になった彼女は、中東旅行中に会った唯一の「一人旅の女の子」だった。
バックパッカーは女性よりも男性の方が多いけれど、東南アジアあたりは
まだ女性もそれなりにいた。でも中東の場合はほとんど出会う事がなかった。
短い移動の時しか一緒じゃなくて、北上組で私とはルートが逆だったし
ほとんど喋らなかったけど、すごく立派な「バックパッカー」だった。

国境では入国の時よりスムーズにいって、順調だった。
スタンプも入国時と同じ別紙に押してもらったし。一安心。
出国税136NIS(4080円)なのに、手元には106NISしか残ってない。
イスラエルのお金は余っても他国で両替できないから使いきろうと思ったら、
逆に若干足りなくなってしまったようだ。どうしよう。出国できない!
列に並んでる間に切り抜ける策を考えて、なんとか乗り切った。
他の人はというと、お金が余ってお菓子を大量に買う人が続出。
プリングルスを三つも買って、「荷物になるー」と溜息をついていた。
バスを乗り継ぎ、イスラエル国境を越え、アンマンに戻ってきた。
イスラエル、濃い旅だった。

次回、ペトラ遺跡編。

エルサレムの象徴、岩のドーム
 
ダビデの塔の内部、非常に広い
 
ダビデの塔の屋上から街を一望
 
閉まっていた、シンドラーの墓の門
 
Palm Hostelのシンプルなドミベッド
 
ヘブライ語とアラビア語、綺麗な形
 
夜中の旧市街は雰囲気がいい
 
夜のダマスカス門、誰もいない
 
後ろから見た、岩のドーム
 
近くから見た、岩のドーム
 
石が積んである以外は、他と同じ
 
オスカー・シンドラーのお墓
 
土産物屋のカラフルさ
 
見てるだけで楽しい、店先
 

 

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