あみの中東縦断一人旅。

旅日記14 ヨルダン・アンマン編「人間国宝サーメルとの出会い、イラク拉致事件を考える」



シリアの首都・ダマスカスからヨルダンの首都・アンマンを目指す。
ダマスカスのバスターミナルで、アンマン行きのバスはどれか尋ねると、
「こっちこっち」と引っ張っていかれた。でも連れて行かれた場所には何も無い。
不安になって今度はまた別の人に乗り場を聞くと、「こっちこっち」と連れて行かれ、
自分がさっきいた所まで戻ってきた。いろんな人に引っ張られてあちこち変な場所に
連れていかれるし、もう訳が分からなくて「どうしたらいいのよ!もう!」状態。

やっとのことでバス乗り場を見つけ、手続きをしようと思うのに売り場の人が
いないとかで待たされる。アンマン行きのようなバスが着いて他のシリア人は
荷物乗せてるのに、見たところ席も満席そうだし、私は待たされたままで本当に焦った。
なんとかギリギリで350sp(約\800)の国境越えバスのチケットが買えた。
チキンケパブサンド分のコイン数枚を残し、ぴったりシリアのお金を使い切った。
バスはひたすら走り続け、国境ではバスから降りてなぜかひたすら待たされる。
まわりは全員シリア人かヨルダン人か。旅人みたいな外国人も少しだけいた。
待っている間手持ち無沙汰で、言葉がほとんど通じないまま現地人と交流を図ってみる。
お腹がすいたけど食べ物買うところ無いし、シリアのお金も使い切ってしまったので
ドル・円キャッシュかT/Cしか無い。日本から持ってきたいざというときの緊急非常食
カロリーメイトをとうとう食べるときがきたか。と、ちびちび食べて過ごす。
ここの国では国境で荷物検査が義務付けられてるので、時間がかかってしまう。

国境で何時間も待たされ、手続きはすぐ終わり、やっとのことでヨルダンに入国!
アンマンのバスターミナルで降ろされた後は、タクシーの運転手に囲まれる。
2$で連れてっていってやるよ!っていう言葉を頑なに無視して、一人歩いて街を目指す。
地図を見ながら進むけど、自分が今どこにいるのかがやはり分からない。
とりあえず勘に頼りながら坂道を下っていった。やばい。バックパックが重い。
やばい。お腹がすいた。でもまだ両替してないからヨルダンのお金を持ってない。
旅してるうちにどんどん荷物が増えていったバックパックが重すぎて、歩けない。
何度も道端でバックパックを降ろして、一息休憩。気を抜くと涙が出てきそうになる。
さっきのタクシーUSDでもいけたし、やっぱり中心部まで乗ればよかった。
またこうやって馬鹿みたいに意地張って、辛くて後悔してしまうんだ。馬鹿。
誰も自分の事なんて気に掛けてくれなくて、ひとりぼっちで、どうしようもない。
しゃがみ込んで動けなくなり、何もかも投げ出したくなってたその時。

同じバスに乗っていた西洋風パッカーの人を見かけた。思わず話しかけてみる。
イタリア人旅人で、同じくバスを降りてから歩いて中心部を目指してるんだって。
さっきまでバックパックが重すぎて歩けなくてどうしようもなかったけど、
仲間が一人できただけで、「頑張ろう」って気になれた。実際気力で頑張れた。
イタリア人のおじさんは、議論好きで、なかなか面白い観点を持っていた。
英語もペラペラだったから、お互いに言葉にも困らず会話できた。
日本人はなぜ黒髪を茶髪に染めて、西洋を模倣するのか。
日本人はどうして宗教観が薄いのか、多様な宗教が共存しているのか。
などなど、歩きながら非常に興味深いテーマをどんどん問いかけてきた。
すごいのは、イタリア人のおじさんがこれらのテーマについて話す自分なりの意見が、
まさに的を得ているということ。偏見や間違った考えではなく、日本人の私が聞いても
納得させられるような考えであり、知識を持っていたことは、かなり驚きだった。
やっとのことで宿に到着した。街の人に場所を聞いて探すのを手伝ってくれた
イタリア人のおじさんともお別れ。二人だったから、頑張って歩けたよ。



ここはヨルダンの首都、アンマンの有名な安宿「クリフホテル」
なんでも有名なサーメルという通称「人間国宝」のスタッフがいるらしい。
シリア・ダマスカスの情報ノートにも
「サーメルがファラーホテルに移動したらしい」
「いや、サーメルはクリフホテルにまだいる」
などというサーメル情報なる目撃情報がたくさん書かれていた。
同時にこのクリフホテルとは、1年半前、2004年にイラクで拉致された日本人3人組と、
最悪の結果となり殺害された香田証生がイラク入りする前に泊まったホテルでもある。

あまりそんなことは気にせずに、とりあえずアンマンの有名安宿ということで
このクリフホテルに宿泊する事に決めた。ドミ一泊3.5ディナール。
ドミトリーは二人部屋。重かった荷物を置いたらとりあえず両替に行かなきゃ。
近くの銀行で円キャッシュをヨルダンの通貨ヨルダンディナール(JD)に両替する。
1JD=1000フィルス(Fils)=100ピアストル(Piastre)もしくは100ギルシュ(Girsh)。
うーん、為替レートがよく分からないけど、1JDが$0.5くらいの感覚でいいのかな。
あまりに腹ペコだったので、近くの屋台でハンバーガーとミックスジュース買う。
各0.5JDなんだけど、ミックスジュースがモチモチした食感で不思議食感。
明日死海に行こうと思って、新聞も買ってみる(250Piastre)
小学校の頃の社会科資料集で見た死海で浮かんで新聞を読む人の写真。
あれを再現してみたくて、わざわざ新聞まで買ってみた(笑)

あとはローマ劇場、アンマン城などをのんびり歩いて巡ったり。
道に迷ってどうしようもなくなって、行ったり来たりはいつものこと。
近所のヨルダン青年に教えてもらった裏道みたいな小道を進む。
ヨルダンの子供達がサッカーしてる。友人同士がひなたぼっこしてる。
アンマン城は丘の上にあって、市内が一望できる素晴らしい眺め。
空が真っ青で気持ちいい。と思ってるうちに、だんだん日が暮れてきた。
ミニチュアみたいに丘にびっしり並ぶ白い建物が、ゆっくりと赤く染まっていく。
遠くに見えるヨルダンの国旗は、あまりに大きくてはっきりと見える。
(実はこの巨大な国旗、高さが128mもありギネス登録してるのだとか)
2世紀のものという、ヘラクレス神殿跡ではなんか映画かテレビの撮影してる。

だんだん日が暮れてきたので街に戻って商店街を見てまわる。
旧市街の中心にあるキング・フセイン・モスクがライトアップで光ってる。
晩ご飯はせっかくなのでヨルダン料理。ここでもつい一番安いの頼んでしまった。
メニューがアラビア語のため不明、伝統料理マンサフなのか、それとも別なのか。
ナッツが沢山入ったライスがパイに包まれてて、ヨーグルトを掛けて食べた。
素朴だけど、食べたことない感じの味で、ナッツの香ばしさと羊肉と
ヨーグルトの酸味が実にぴったりでおいしく頂きました。
やっぱり旅した土地で食べるその土地の料理っていうのが、いいね。



一息ついてクリフホテルに戻ったら、サーメルがネスカフェを入れてくれた。
私がありがとうって伝えたら、はにかみながら「ドウイタシマシテ」と言った。
サーメルはカタコトの日本語で「ドウイタシマシテ」というのが口癖みたいだ。
多分沢山の日本人が彼の優しい気遣いに対して「ありがとう」っていうからだと思う。
宿泊している間中、サーメルの「ドウイタシマシテ」をいっぱい聞いた。
ソファに座って旅人の情報ノートをパラパラとめくる。

ここには情報ノートの他に「サーメルノート」なるものも存在する。
そこにはサーメルの様々な情報が書かれ、みんなの写真が貼ってあった。
サーメルに対する感謝の気持ちを綴った、素敵なノートだった。
そこに書かれている情報をまとめてみると、
彼はヨルダン生まれのパレスチナ人。
愛想の悪いケチなオーナーにこき使われてるここのホテルのスタッフ。
安い賃金のため何度も他のホテルに移ろうとしたが、
客がサーメルと一緒にいなくなるのを恐れたオーナーに引き止められた。
過去12年間にとれた休暇は2泊3日と半日だけ。
旅人に(自腹で買った)ネスカフェをご馳走してあげるのが好き。
お礼をしようとも一切お金を受け取らないので、時々ネスカフェや
お礼の品をこっそり置いて旅立つ人がいる。
サーメルの夢は自分のホテルを持つこと。などなど。
サーメル、サメール、サミール、サーマルなど呼び名も様々・・・。

そんなサーメルの優しさに甘えすぎて、国に戻ってから高い死海泥エステグッズ
などを買って送って欲しいと頼んだ人がいるんだけど、いろいろ手配して送って
あげたのに、今だ商品の代金の入金が無くて困っていると言ってた。
ロビーのテレビのところに、「サーメル募金箱」というものがあった。
サーメルの夢の実現のために、感謝の気持ちを込めて設置してある。
サーメルはお金を受け取ろうとしないので、これは「香田さん募金」といって
代々次の旅人に引き継いでいって下さい。ということが書いてあった。
本当にサーメルはホスピタリティに溢れてて、みんなが好きになっちゃう
その気持ちが分かる。人の笑顔を見るために、一生懸命だからだ。
サーメルに優しくされて、みんな優しくなる。ほっこりした場所がここにある。

情報ノートの古いページにはイラクへの行き方や、イラクに行った人の感想、
バグダッド市内の手書き地図で食事所や宿などの場所が記してあるページもある。
昔からイスラエルやイラクへ行くための拠点となる場所だった。
香田青年、テロが激しいあの時期にイラクになんて行って、自業自得だとか
自己責任が足りないとマスコミなどにかなり批判されていたのは確かだ。
でも実際はそれだけじゃないっていうことも、この地に来て少し分かった。
あの時はあまりに遠い場所の出来事だった。まさか自分が中東一人旅するなんて
思ってもみなかったけど、いまこうやってイラクと国境を接する国にいる。
香田青年が観光気分で軽率な行動を起した、という一面の見方だけではなく、
彼が戦争の真実を見ようとして、平和を望んで、しっかり物事を考えていたということ。
本人が亡くなってしまった今となっては真実は分からないし、
批判する気も、賞賛する気も、ないけれど。
彼もまた、一人の旅人で。彼を見送ったサーメル。
また一つ、ニュースが遠い国の出来事ではなくなった。

だんだんとロビーに旅人が集まってきて、みんなでわいわい旅の話をする。
いろいろ話しかけて明日死海に行く人を探してたら、なんとか3人見つけた。
死海に行くにはバスが無く、ヒッチハイクだとかなり難しくてほとんど車がおらず
戻って来れないから助かった。4人でタクシーチャーターだとバスくらいの値段になる。

明日の死海に備えて、床に就く。
旧市街のキング・フセイン・モスク
白壁が印象的なヨルダンの家々
地元の野菜市場に入ってみる
おじいさんのアラブ帽子がいかすと思う
スークで地元人に混じって買い物
シリアよりイスラム色が少しだけ薄い
アンマン城を目指す。あれ、裏道?
空の青さがあまりにも眩しくて、惚れた
丘の上から市街を一望できる
だんだんと日が暮れていく、アンマン
街がだんだん赤く染まっていく、美しい
渋い撮影現場に出くわす
ヨルダンの国旗と共に
 
 
 
 
 

 

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