あみの中東縦断一人旅。

旅日記11 シリア ゴラン高原 クネイトラ編「中東戦争の爆撃、国境紛争の死の町」



シリアの首都アレッポに到着。外はもう暗くなってる。
バスターミナルで降りるなり、タクシーの運転手に囲まれる。
歩いて宿探そうと思ったけど、一体ここがどこなのかも分からない。
バスも見つからないし、一人でかなりの時間うろうろ歩いてしまった。
パルミラの反省が全く生かされてません^^;

口コミで聞いた安宿が隣同士にある。アルハラメインホテルとアルラビエホテル。
両方受け付け覗いてみて、迷った挙句アルラビエにした。中庭の雰囲気が素敵。
一泊250sp(≒\500)のドミトリーは四人部屋で、他の三人は外出中みたい。
とりあえずバックパックを置いて町を軽く探検するも、特に何も無い。
宿の周りにご飯やさんがなかなか見つからなくて苦労するも、
晩御飯のツイスター風中東サンドイッチをかじりつつ戻る。
50sp(≒\100)の割りにボリュームたっぷりで、今までの二倍の大きさ。

同部屋のパッカーがもう戻ってた。あれ、またも南米くんだ!再会。
あと、アレッポでちらっと会った旅人も同じ部屋だった。こちらも再会。
もう一人は初めて出会う人、東大生らしい。なんか出会う人やたら高学歴。
空き缶をナイフで切ってコップ代わりにして、電熱コイルでお湯を沸かす。
コンセントに電源挿して先端を水につけるだけであっという間にお湯が沸く。
これはかなりのお気に入り旅グッズ。いつでもチャイやコーヒーが楽しめる。
現地の怪しげなお菓子を買ってみて、お茶と一緒に夜食おやつタイム。
皆で旅の話をした。ゴラン高原のクネイトラに行った人の話が興味深かった。

 

クネイトラ。イスラエルとシリアがお互い自分の国土だと主張する国境紛争地帯。
中東戦争が終わりを迎える1974年、イスラエル軍により爆撃された町。
イスラエルの残虐行為の証として、悲劇を忘れない為当時の状態のまま残しており
現在は国連監視下の非武装地帯となっている。人によってはシリアの政治的
プロパガンダに使われてるという意見もあるけど。その意見も一理あると思う。
爆撃の傷跡をそのまま残したゴーストタウン、廃墟。
内務省の入境許可書を貰わないと入ることが出来ないし、
政府公認の軍関係者のガイド無しに勝手に見て回ることも出来ない。
恥ずかしい事だけど、話を聞くまでクネイトラの存在を知らなかった。
国際政治問題に関心もあったし、結局、クネイトラに行くことに決めた。
無計画で予定外なのはいつものことだから。

翌朝、早起きしてまずはパーミットを取りに行く。
シリア内務省でパスポートを渡してかなり長時間待たされた。やっと許可がもらえ、
今度はバスターミナルへ。クネイトラ行きの乗り合いバスセルヴィスはすぐに見つかった。
地元民に囲まれたバスでクネイトラを目指す。一時間以上走ってバス代は20sp(\50)。
途中で別のセルヴィスに乗り換え、ポリスチェックが何度もあり、到着。
例え相手が警官でも、パスポートを自分の体から離して人に預けるのは気が進まない。
何度も車の外にまでもっていかれたパスポートの行方を、ずっと目で追いかけてた。
入り口でも軍人にパスポートと入境許可書を細かくチェックされ、門の中に入った。

 

軍人らしきガイドがついてまわるのだか、情報ノートによるとほとんど英語が喋れないとか。
行きたい主要建物のアラビア語を出す必要も無く、運良く少し喋れる人だった。
適当に案内する人が多いとの噂だったけど、この人はちゃんとまわってくれた。
言葉はカタコトだったけれど、それぞれの場所を説明して案内してくれた。
まずは教会。中に入ると足元は物凄い数の瓦礫。その生々しさに衝撃を受けた。
窓から差し込む光が、薄暗い瓦礫を照らし出す。ここが祈りの場所、教会だなんて。

 

外に出る。道端では銃を持った軍人らしき見張りの人が厳しく目を光らせている。
何気なくそちらにカメラを向けた人は「NO!NO!」と厳しく注意されていた。
周りを見渡すと、一軒たりともまともな建物が無い。瓦礫と化した石の家。
空爆で一瞬にしてぺしゃんこに潰れた民家。ブルドーザーで押し倒された民家。
誰が書いたのか、壁には落書き。ああ、アラビア語が読めたらいいのに。
UN国連軍の停戦監視団が駐在しており、時折兵士の姿を見かけた。

 

病院は悲惨だった。激しい銃撃により壁に穴が開いて、まさに蜂の巣。
「GORAN HOSPITAL」という看板を見てここが病院だと気づいた瞬間、ぞっとした。
中に入るともっと酷い状態。壁一面の弾痕、惨劇の跡が生々しく残る。
壁に残っていたイスラエルを表す燭台のマークが、少し気になった。
病院の屋上まで上がってみると、遠くの方に雪山が見えた。
丘の向こうにはイスラエル軍の軍事施設があり、クネイトラを見張ってる。

 

 

潰れた商店街。車の走らない道。人のいない住居。
「死の町」の名前の通り、この町は時が止まったようにがらんとしている。
人がいない死んだ町というのは、こんなにも恐ろしいものなのだろうか。
静けさが不気味。一部地雷が残ってる場所は鉄格子で囲まれていた。
モスク。中に入ってみると天井部分は無くなっており、これも残骸のよう。
上を見上げると骨組みだけ残る屋根を通して、青空が見えた。
青々と茂る緑と、明るく光る空が、不釣合いなほどのどかで。
あと、なぜかおじいちゃんが歩いてた。軍人じゃない、一般人みたい。
ここで暮らしているのだろうか。どうやって暮らしているのだろうか。



最後につれていかれた「博物館」は、なぜか考古学の展示。
戦争関係の展示かと思いきや、石器時代の石しかなかった。謎。
ガイドさん、お礼のお金も受け取らなかったし、本当いい人だった。
バス待ってる間に軍人の銃に囲まれてるのは若干緊張したけど。
バスに揺られてまたダマスカスへと戻る。車窓をぼんやりと眺め
国際情勢について、中東和平について、考えを巡らせる。
そう、それはたった32年前の出来事。

どうしようもなく歴史は繰り返す。

この町には音が無い。

時が止まったまま。

破壊された建物だけが残る、死の町。

変わらないのは、青い空。

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