あみの東南アジアバックパッカー放浪記。

旅記12 カンボジア・プノンペン編(前) 「国境越えと、トゥールスレーン刑務所博物館」

当時のカンボジアレート
4000リエル≒1ドル(≒100円ちょっと)

ベトナムともそろそろお別れ。次の目的地カンボジアに向かいます。
メコンデルタからボートで川を上ってカンボジア入りしたかったんだけど。
まあいろいろあって、普通にバスで国境越えすることになりました。
生活も慣れて、ベトナム語もやっと覚えてきたというのに少し残念。
一番良く使ったベトナム語は「シンチャオ(こんにちは)」
「バオニウティエン(いくらですか)」「カムオーン(ありがとう)」。
南部中国語と共通する部分も多くて、覚えやすかったなーと思う。
バスはホーチミン→プノンペンで6ドルくらい(1万ドン分の朝ごはん付き)
移動中にフルーツでも食べようと思って、緑色のみかんを買う。
キロ売りで5千ドンから。1万ドン出しておつりを貰おうと思ったのに
言葉が上手く通じなくて、結局1万ドン分買うことに。多すぎる・・・。
20個以上はあると思う。しかも皮が硬くて簡単に剥けないし。重すぎる。

朝8時ごろ出発。偶然にもまたラオスくんと同じバスに乗り合わせる。
同じバスに中国の人がいて、西洋系が多い中珍しい。一緒にお喋り。
途中ご飯休憩した場所があるんだけど、そこはやっぱりちょっと高い。
だから勝手に道路渡って反対側にある個人商店みたいなとこに寄ってみた。
おじいさんとおばあさんが経営してるような小さなお店。
最高に美味しいベトナムのヨーグルトが食べたくて、説明する。
ジェスチャーも英語も通じなくて、ものすごい苦労するも、やっと発見。
無事買えて、ヨーグルト満喫。いやー、やっぱベトナムヨーグルト最高。
冷凍庫に放り込んであったせいかフローズンだったけど。これもまた◎。
さて、バスはどんどん進み、やっとのことで国境(モクバイ)に到着。
中国→ベトナムで苦労したこともあり、少し両替しておくことに。
レートも分からないし、とりあえず3万ドン両替→7千2百リエル。
イミグレーションが見えてきた。社会主義の国だからか写真取ったら
怒られそう。だけどこっそり隠し撮りしちゃったよ〜。
イミグレでは心配したようなトラブルもなく、あっさり通過できた。
で、歩いて国境を越える。今回ははっきりと線が引いてあったので
ワクワクしつつ「せーのっ」で線を大きくまたいだ。カンボジアだ!

カンボジア。森の国という呼び名を持ち、山岳地帯は森林に覆われてる。
かつてクメール族の国家アンコール王国が栄え、多くの遺跡を残した。
しかしポル・ポト時代の虐殺などにより、寺院は破壊され、国土は荒廃。
政情が安定したのも近年になってから、ということが本に書いてあった。
目の前には立派なカンボジアのイミグレの建物、カッコいいなー
と思ったらそれはまだ工事中で、実際は横のプレハブみたいな場所だった。
こんなんでいいのかよー、っていうくらいの雑多ボロっぷり。
入国の用紙を記入する時、職員のおじさんが優しく教えてくれて感激。
今までずっとベトナムにいたから、なんか人の温かさを感じる・・・^^*
いや、ベトナムも悪くないんだけどね。カンボジアは素朴な感じがする。
手続きはこれもまた案外あっさり終わってしまい、驚き。
ピッっていうパスポートのバーコードチェックなくてスタンプと用紙だけ
みたいな気がするんだけど、気のせいなのかな。ものすごいあっさり。
近くの食堂でカンボジア側のバスが来るのを待つ。なかなか来ない。
みかん食べようかな、と思うも皮が硬すぎて手でむけない。
いつも持ち歩いてるナイフで皮を切ると、汁がだらだらと流れ出す。
味はすっぱすぎるし、なんか失敗だったよこのみかん。まだあるし。
天気がよくて日差しが強くてかなり暑い。湿気は少ないんだけど
日差しがジリジリして、日向にいるとすぐに真っ黒になりそう。

バスが来たら出発。予想通り道が結構悪くてガタガタしてる。
道路に穴が開いてるのか、たまにガタン!って飛び上がってしまう。
窓からの景色は本当に素晴らしかった。田園。青空。地元の人々。
テレビで見たようなな景色が延々と続いてて、見とれるしかなかった。
一瞬通り過ぎるたびにその場その場のストーリーが垣間見えた。
そうそう、ベトナムと一番違うなと思ったのが帽子の形。
ベトナムは菅笠みたいな三角帽子で、天秤棒に荷物を担いでた。
でもカンボジアでは帽子が四角い、というかてっぺんが平らになってる。
その上に荷物を載せて運んでる。ちょうど頭に荷物を乗せてる感じ。
ちょっと移動しただけなのに、もう国の違いの一端が見えた気がする。
うとうとして、気づいたらバスがなぜか広場の真ん中で止まってた。
そのまま10分以上止まったままで、全くどうしていいのか分かんない。
窓の外には子供たちがたくさんいて、バスを取り囲んで騒いでる。
タイヤの上に乗って窓ガラスを叩いては、何か頂戴って言ってるみたい。
楽器を演奏してたり、空のペットボトルを集めてたり、走り回ったり、
子供が赤ん坊を持ち上げて強請ったり、ジュース売りに入ってきたり、
各自が思い思いの方法でお金を稼ぐのに一生懸命になってたと思う。
なんでここにずっと止まってるんだろ?この子供たちのためだろうか?
と思ってた矢先動き出した。どうやら船に乗って川を越えるみたい。
メコンでもあったように、川幅が広すぎて橋がかけられないのか、
船に乗って川を越えないと向こう側にたどり着けないようだ。

バスはまたも悪路を進み、ガタガタしつつも夕方プノンペンに到着。
あんな天気が良かったのに、ついたとたんに大雨に見舞われるなんて最悪。
適当なホテルの前で下ろしてくれて、大抵の人はここに宿泊するみたい。
でも宿泊料が5、6ドル〜と高め。雨で移動や宿探しって大変なんだよなー。
スコールは一時的なものだから、雨が止むのを待って移動することに。
ちょっと待ってやりすごしてから、小雨の中バックパック背負って出発。
目指すは世界中の旅行者が集まるという有名なCAPITOL HOTEL。
悪い噂もあるけど、とりあえず行って見てみてから決めようと思って。
ラオスくんもたまたま同じくキャピタル目指してたので、一緒に出る。
「悪い客引きが多いみたいだから気をつけて」と言われたので注意しつつ。
確かに歩いてるとものすごい数の客引きが寄ってきて声かけてくる。
道もよく分からないし、薄暗いし、これ一人じゃ不安だったかも。
地元の人に道を聞きつつ、キャピトルホテルにたどり着いた。
2までは聞いたことあったけど、キャピトルホテル3までできてた。
とりあえず一番安い本家キャピトル1へと。値段は3ドルから。
部屋を見せてもらったら、まあ許容範囲だったので泊まることに。
いつもの如くドミトリーにしようと思ったら、実はドミが無かった。
だから節約のためラオス君とダブルルームをシェアすることにした。
それにしても驚いたのが、1人3ドルじゃなくて1部屋3ドルってこと。
つまり1泊1人1.5ドル。ドミじゃないのにこんな安いなんてすごい!!

荷物置いて、朝からまともなもの食べてないことを思い出して、
ご飯を食べに行く。市場に向かってるとホイアンくんとばったり再会。
なんか偶然の再会多いよなぁと思いつつ、せっかくなので3人でご飯。
市場の屋台でビールと中華風野菜肉炒め、なんていうシンプルなもの。
シンプルだけどすごく美味しくて、なんかこういう味付けが懐かしい。
2500リエルだったけど、国が変わって通貨が変わったことに慣れなくて
それが一体いくらなんだろうっていうのがまだ感覚で分からない。
感覚といえば、私はいつも現地通貨を計算する時中国元で考える。
日本円とかアメリカドルで考えるんじゃなくて、元と照らし合わせる。
というのも円やドルで考えると、無駄遣いしてしまうから。
現地での収入や生活水準を含めた上での価格設定なのに、
その数字だけを円やドルにすると、どれも安く感じてしまう。
中国で暮らしてた時の感覚なら、例えば1元なら1元の大切さが分かる。
だから自然と中国元に換算して考える癖がついてしまってるのかも。
こんなことしてるから相変わらず貧乏性なんだろうけどね^^;;
ご飯食べ終わったら、あまりに夕焼けが綺麗なので散歩してみる。
道を歩いていくと寺院みたいなところについて、すごく素敵だ。
フルーツ売ってたので憧れのマンゴスチン買ってみる。わわー。
本当はキロ売りなのに、ばら売りしてもらった。10個1500リエル。
だんだんカンボジア現地の価格に慣れてきた。
カンボジアは結構小さなお店も、ほとんどの場所でドルが使える。
ドルとカンボジアの通貨であるリエル両方で払ったりも出来る。
1ドルが大体4000リエルだからみんな計算もしやすいんだよね。
例えば1.5ドルor6000リエルって書いてあるところで2ドル出したら
おつりで2000リエルかえってくるとか、そんな感じで分かりやすい。

プノンペンは首都にも関わらず、夜は比較的危ないとの噂も聞く。
確かに通り一本入っただけで街頭も無く真っ暗で人気がない。
部屋に戻ったらラオスくんはまた散歩に行ってくるとのこと。
うちもマーケットとか行きたかったけど、一人歩きは危ないらしいし
移動続きでたまってた洗濯物をいっぺんに洗って過ごす事にした。
共同のトイレ・シャワーの洗面台にてせっせと手洗い。ゴシゴシ。
ほとんど全部洗って、持参の紐を伸ばして広げて、そこに干す。
一部だけにしようと思ったのに、洗い出すともっと洗いたくなるんだよね。
洗い終わったらデザートタイム。果物の女王マンゴスチン食べるのだ〜。
外側は黒紫色の厚い皮に覆われ、中は真っ白でプリプリした実が詰まってる。
ナイフで切って半分に割って食べる。驚いた。すっっっっっごい美味!!
そのうちのナイフじゃなくて手でも剥けることに気づいたけど。紫ー。
濃厚ヨーグルトを何倍も甘くしたような味、それでいてジューシー。
南国フルーツいろいろ食べたけど、マンゴスチンが一番お気に入りかも。
あまりの美味しさにさっき買ったのほとんど食べ尽くしてしまったよ。
というわけでマンゴスチンの美味しさに感動しつつ、本日は就寝。

朝起きて、今日はトゥールスレーンを中心とした街散策の予定。
ラオスくんはまだ寝てるので、さっさと一人で出発しちゃう。
お互い個人旅行者なので、同じ部屋でも行動バラバラなんだよねぇ。
宿の周りをうろうろしてたら、湯気がほかほかの麺やさん発見。
カンボジアでもやっぱり一人だと麺料理かよ!ってツッコミつつ。
覚えたてのカンボジア語でラーメンみたいなものと、パンを注文。
麺が細くてマロニー系。なかなかおいしくてアツアツ食べてた。
相席になったカンボジア人のおばさんが話しかけてきたんだけど、
なにぶんカンボジア語で喋られるので全くもって分かんない。
困った顔をしてたら、多分外国人だって事分かってもらえたみたい。
会計のときにこれまたカンボジア語が聞き取れなくて手間取ってたら
さっきのおばさんが英語で訳してくれて、助かった。なんか嬉しい。

トゥールスレーン刑務所博物館まではかなり距離があったけど、
バイタクぼったくられそうで、結局いつものように歩いて向かう。
地図で見たよりももっと遠くて歩いても歩いても全然つかない。
途中市場があって、地元人にまぎれて野菜や衣服を物色したり。
自分がどこ通ってるのか分からなくなって、少し不安になる。
地図と方位磁針を駆使しつつ歩いていったら、道はちゃんとあってた。
初めての街でこんなにちゃんと目的地にたどり着けたの、ひさしぶりかも。
途中でたまたま、あの悪名高き「サダハウス」を発見した!!
サダハウスとはいろんな宿の情報ノートに悪い噂が書いてあった宿。
フロントに荷物預けたら中に入ってた現金が盗まれてたとか、
部屋の荷物が留守の間に物色されて物が無くなってただとか、
女の子が泊まってたら夜に宿の従業員に襲われただとか、
とりあえずどこにいっても「サダには気をつけろ!」とあった。
実際どんなもんか興味はあったんだけど、さすがにちょっと心配で
泊まらなかったんだけどね。後日ここに泊まった旅人に聞いたところ
「何も盗まれなかったし、意外と良かったよ」とのことでした。

トゥールスレーン刑務所博物館。
ここは1975年からのポル・ポト政権の残虐行為を象徴する場所。
クメール・ルージュは人々に農村での過酷な労働を強い、街を破壊。
通貨や一切の宗教活動も禁止された。掘削による深刻な飢餓もあった。
インテリ層を中心に女性、子供を含む国民が次々に殺害された。
4年間で人口の3分の1である200〜300万人が命を落としたとされている。
ここはもともと高校の校舎だったのが、当時は刑務所として使用された。
1979年にベトナム軍がプノンペンを開放した時、殺害された遺体は
教室であった独房のベットに縛り付けられたまま放置されていたという。
このときのベット、足かせ、衣類、拷問器具などが残されているし、
処刑を待つ人々の顔写真や、拷問を受けた人の写真も残ってる。

中に入ると、早朝のためか観光客もほとんどおらず静かな印象。
建物は見るからに高校という感じ。まずは白いお墓が並んでた。
そしてA棟の教室へ。ベットや足かせが部屋の中央に置かれている。
壁にはそのまま発見当時の惨殺された遺体の写真がかけてあった。
この場所、このベットで殺されたんだというのがまざまざと分かる。
一人きりで、当時の空気がリアルに残ってて、教室内に入れない。
足が竦んでしまう。怖い。でも、思い切って教室に入ってみる。
当時の様子が脳裏に浮かぶ。ベットといっても鉄っぽい簡素なもので、
写真を見ても布団も無い。両手両足はベットの枠に括り付けられてる。
身動きが取れない状態で拷問の限りを尽くされたのだろう。
それは人間の形とは言えないようなものもあり、背筋が凍りつく。
残虐すぎて目を逸らしたい。でも目を逸らすわけにはいかない。
これは受け止めなければならない現実で、逃げるわけにもいかないから。

次にB棟へ。ここは写真を中心に並べられてた。人々の顔、顔、顔。
何百、何千もの顔写真が並べられていた。幼い子供から老人まで。
これらの写真は全部殺された人の写真であり、殺される前の姿である。
それぞれなんとも言えない表情をしており、胸が痛くなる。
それはまるで証明写真のようであり、囚人写真のようでもあった。
一枚一枚、見逃すことの無いように全部の写真に目を通していった。
そのうちに血だらけの人の写真、拷問で顔が腫上がった人の写真、
痩せこけて骨の形まで見える写真、虚ろに空を見つめる人の写真、
憔悴していく人々の記録・・・、こういった写真もどんどん増えていった。
処刑された人々が訴えかけているような息苦しさ。でも目を逸らさない。
見るだけでもう辛くて、苦しくて、胸の中に何か痞えてるみたい。
すごく胃が重くて、胸が重くて、たまらない。悲惨でむごたらしい。
校庭にあった高い鉄棒は、人をつるし上げる拷問用に使われてた。
当時のルールや決まりがクメール語と英語で書いてあって、
読んでみるとそれはあり得ないほどに理不尽なものだった。

C棟。有刺鉄線で建物が囲まれ、内部は細かく仕切られて独房になってる。
一人のスペースは非常に狭く、足かせなどが無造作に置かれていた。
床や独房の中には血のような色あせた赤いシミが染付いてた。
それが一箇所ではなく、何箇所にも血の様な跡がべったり残っていた。
奥の方には光も入らず薄暗く、一人取り残されたような気分になる。
最後にD棟。拷問器具が拷問の様子を描いたイラストと共に置かれている。
水攻め、指や首を切る、爪や皮膚を剥ぎ取る、ペンチでつねる、など。
上の階では生き残った人の写真と生活の様子、ビデオ上映などもやってた。
キリングフィールドの当時の写真、たくさんの骸骨と共に、
本物の頭蓋骨も沢山あった。10年前にあったという頭蓋骨で作られた
カンボジアの地図というのは、既に無くなってしまったようだ。
ベンチでちょっと休む。空は良い天気なのに、なんだろこの気分。
かなり長い間トゥールスレーンにいたかもしれない。

アジアの歴史について知らなかったことが多かった。恥ずかしく思う。
知っていても実際に現地で感じるのとはまた違うものだった。
本の上で分かったつもりでも、全然分かってなかったのかもしれない。
1979年といったら、そんな昔のことではない。つい最近だ。
今通りを歩いてる多くの人が実際に生きてた時代。
ここで感じたことをうまく言葉にすることができないし、
どんなに表現したところで、実際に行った感じには及ばない。
今回の旅行で一番衝撃を受けた場所でもあり、行くべき場所だ。
カンボジア・プノンペン編、長くなってしまったので分割。続きは後半へ。

ここで写真を撮る事をためらったし、躊躇した。
あと、ホームページに写真載せるかどうかも。
(ベトナムの戦争証跡博物館ではできなかった)
でも、どうしても伝えたかったから、いくつか載せることにしました。

ベトナム側国境、こっそり隠し撮り
カンボジア側のイミグレは現在工事中
「世界の車窓から」本当に景色が綺麗
延々と続く、水と、緑と、空と、雲
この雲があまりに綺麗で、惚れた
プノンペンの夕暮れ。空が染まる
緑の蜜柑と、最強美味マンゴスチン
現地の市場は、人々で賑わってる
多くの道路は舗装されておらず、土
お坊さんの袈裟の色はオレンジ
トゥールスレーン刑務所博物館

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